ぺりグ

ゲーム楽しい脳溶けるゥと蠢くブログ

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万の札になって

オードリーのオールナイトニッポンにて

 

えーちょっとですね、曲を作ってましてね、我々。

あー、そうだった、そうでした。

万の札になって、という曲なんですけどね。

 

ここ数週にわたって、オードリー春日がやたらとお金に執着しているという性質をイジっている。

 

今日のお題「お金に執着している人の習性に驚いたという話」

 

 


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ぺりさんは毎週楽しくラジオを聞かせていただいています。

番組内で、春日が死んだら春日のお墓には現金を入れてくださいという、千の風になっての曲をパロった歌を披露したことから、半コーナー化しているのだが、そこの情報だけでもう爆笑ものだが、リスナーから届く、歌詞の替え歌メールに毎度げたげた笑っている。

話をよくよく聞くに、HAKAKINさん(春日のこと)は「お金の用途」には興味がなく、「お金自体」に価値を見出しているそうな。

どういうことかというと、事前に何日後に死ぬことが分かったとしても、生きている間にお金を使い切ってやろう、という考えには至らないらしい。

墓内にみっちり現金が詰まっていることの方が、重要だと言うのだ。

ちょっとよく分かんないっスね。

と、思わずサンド富澤のようなツッコミが腹を突き破って飛び出してきそうなことを言う。

 

そもそもお金の価値とは「何かに換えるためのもの」ではないのか

Aという商品が欲しい場合

Aをゆずってもいいが、「その代わりに」=Bという商品をくれ

はい。これが物々交換というやつです。

人間がほぼサルだったころ(失礼)基本的に商売というのは物々交換で成り立っていましたね。

それが、通貨というものが登場し、商品に適正な価値を与え、その対価として同額の金銭を支払う➡という商売の方式に変わっていきました。

Aという商品が欲しい場合

Aをゆずってもいいが、「その代わりに」=代金〇〇円を支払ってもらう

こうなりました。

 

代金という言葉が示すように、「代わりに」支払うお金のこと。

以上の一義的な面から、お金というのは、それ自体に価値があるものではなく、お金を何か役に立つものやサービスに換えてこそ、意味を成す。

ぺりさんはずっとそう思っていたのだが、どうやらHAKAKINさんは違うらしい。

 

お金を「たくさん持っていること」がステイタスに感じている人々

面白いもんで、そんな人ほかにおるかいな、とげたげた笑っていたのも束の間。

数日後に、「あらゆる趣味がなくなっちゃったんだよね」という人物と話をする機会ができた。

話の中で、その人は「色々なものに興味を持てなくなった」などと言い、じゃあいま何を糧に生きているんだとぺりさんが問うと、「金を得ること」と答えた。

そのときは、「そうか……疲れているんだな」働きすぎたり、心が疲れ果てるとそういう状態に陥るよ、ぺりさんも……と流したのだが、そのあとこんなことも言っていた。

「余計なお金を使いたくない。お金が1円でも多くある方がいい」

後になって考えてみると、これはHAKAKINさんと一致する考えではないか、と思った。

その人は「様々なことに興味を持てなくなった」=「お金の使い道を見失った」という旨で話をしていたが、もはや今では金を抱えて死にたいとまで言った。

もちろん将来のやんごとなきことのために貯蓄をしておきたいという気持ちで、そんなことを言ったのだろう。

自分が死んだら墓にみっちり詰まった現金を使ってなんとかやりくりしてくれという、遺した家族のために生命保険的な意味合いで1円でも多くお金を欲しがる。

とても道理にかなった理由である。

今はそんなにお金を使いたいと思わない=だから、貯蓄をするのが趣味だ。

そういう人は身近にたくさんいるように思う。

普通だ。

先行き不安なこれからの日本で、荒波にもまれながら生きていかなきゃならない、新生児たち。

その子に悲しい思いをさせたくないがために、今は稼ぐ。

稼ぐことが趣味だと脳に錯覚させてまで稼ぐ。

……というのはちょっと言い過ぎたが、お金を稼いで、一切使う気がないとしても、道理がねじ曲がってはいない。

 

しかしHAKAKINにとってのお金とは

遺していった家族にも墓金(HAKAKIN)は使われたくないらしい。

墓金は、だれのためのものでもない。

自分のためのもの。

それは誰かのために使われるものでもなく、そもそも使いたくないのだという。

超節約脳のHAKAKINだからこそ生まれた名言である。

正直、理解はできない。

道理もおかしいと思う。

なんというジャイアニズム

成金が死ぬまでに銅像を建てたいと思うのと一緒だそうだ。

墓金=銅像

それ自体に価値を見出す。

現金が多ければ多いほど、HAKAKINさんの威光は増すのだという。

それなんて豪族?

古のバカな為政者でも、通貨を墓に埋めて権力の象徴とすることはないだろう。それ相応の価値のある何かを埋めるし、墓自体をでかくしたり(古墳)なんかそういう手段に出ている。

まさか金自体にそこまでの価値を感じている人間がいるとは思わなかった。そんな思想の人間にとっての墓は、もはや墓石とかじゃないんだろう。HAKAKINさんの魂が眠る場所は、「お金そのもの」なのかもしれない。

 

あなたの懐の福沢諭吉も、HAKAKINフェイスに代わっているかもしれませんよ……?

 

 

〈怖ァ〉

 

 

 

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